技術資料

やわらかサイエンス

並んだ石いろいろ(前編)

担当:藤原 靖
2018.09

今回は遺跡の石について見てみます。今も昔も古今東西、私たち人間の営みには石は欠かせません。

ところで、遺跡というと大昔の人間の活動の痕跡のように思いがちですが、本来は時代の新旧は関係ないそうです。したがって、つい先日のものであっても時代的背景を読み取れる痕跡であれば「遺跡」だそうです。今回は、先入観の通りの古い時代の遺跡と石について紹介します。

最初は、縄文時代の並んだ石はといえば、円く石を並べたストーンサークルです。次は古墳時代の石を積み上げて作った石室です。最後は石を積み上げた建造物、城の石垣について紹介します。

■円く並べた石 ストーンサークル

石の遺跡といえばイギリスのストーンヘンジです。ストーンヘンジは英国のイングランド南部のエイムベリーという所にあります。高さ7mくらいの30個の縦長の巨石が直径100m程度の円形に並べられたものです。紀元前2,000年とか2,500年と言われており、太陽崇拝の儀式を行う場所や古代の天文台であったと考えられています。

ストーンヘンジはユネスコの世界遺産でもあり世界的に有名ですが、実は我が国には、もっと古い時代の円く並べた石がたくさん存在しています。それがストーンサークル(環状列石(かんじょうれっせき))と呼ばれる縄文時代の遺跡です。ストーンサークルを含む縄文時代の遺跡は、現在、世界遺産の登録を目指しています。以下に青森県庁の世界遺産登録推進室のホームページの序文をそのまま紹介します。

青森県をはじめ、北海道、岩手県及び秋田県は、世界遺産「白神山地」や「知床」など、美しく豊かな自然が今なお色濃く残る、緑豊かなところです。
この豊かな自然の恵みを受け、今から約1万5千年前に、私たちの祖先は、縄文文化という素晴らしい文化を築きました。
日本最大級の縄文集落跡である特別史跡三内丸山遺跡や大規模な記念物である特別史跡大湯環状列石をはじめ、北海道から北東北に残る数多くの縄文遺跡が、その息吹を今に伝えています。縄文文化は、日本の歴史と文化の成り立ちを知る上で欠くことのできないものであるだけでなく、自然と人間が共生し、約1万年もの長きにわたって営まれた、高度に発達・成熟した文化であり、世界史上稀有な先史時代の文化です。私たちは、これら縄文遺跡群が人類共通の宝として未来へ伝えていかなければならない貴重な文化遺産であるとの考えの下、4道県並びに関係自治体が連携・協力して「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録を目指し取り組みを進めています。

【青森県庁の世界遺産登録推進室のホームページ】(最終参照日:2018年9月)

この取り組みは2005年に始まり、2009年に世界遺産暫定一覧表に記載され、文化庁への提出などを経て、2018年時点では文化審議会世界文化遺産部会において、ユネスコへの推薦候補に選定されています。我が国の縄文時代の遺産を世界の人に知って貰い、後世にも残せることができれば素晴らしいですね。

登録を目指す北海道・北東北の縄文遺跡群の中に、環状列石(ストーンサークル)があります。そのいくつかの遺跡について紹介します。

北海道・北東北の縄文遺跡群

<小牧野遺跡> 青森県青森市大字野沢字沢部108番地3

場所
青森市南東部で八甲田山西麓に広がる荒川と入内川に挟まれた標高80〜160mの舌状台地上にあります。
時代
縄文時代後期で紀元前2,000年頃です。
規模・形状
三重(一部四重)の環の環状列石で、小さい環の直径は2.5m、大きい環の直径は35mで、四重の箇所の直径は55mにもなります。
遺物等
環状列石の近くの埋葬地や捨て場跡などから、土器や石器、土偶やミニチュア土器、動物形土製品、円形岩版、特徴的な三角形岩版などが出土しています。
左:環状列石全景、右:小牧野式配列(弘前市教育員会縄文遺跡群世界遺産登録推進本部 北海道・北都北の常温遺跡群リーフレットシリーズ)

<大森勝山遺跡> 青森県弘前市大森勝山

場所
青森県西部で岩木山北東麓の標高約145mの舌状丘陵上にあります。
時代
縄文時代晩期前半で紀元前1,000年頃です。
規模・形状
台地上を整地した後、円丘状に盛土し、その縁辺部に77基の組石を配置した環状列石で、およそ長径が50m、短径が40mのやや楕円形です。
遺物等
付近からは土器、狩猟・採集用の石器、儀式用の岩版・石剣などが出土していますが、中でも円盤状石製品が特徴的です。
左:環状列石全景、右:環状列石(弘前市教育員会縄文遺跡群世界遺産登録推進本部 北海道・北都北の常温遺跡群リーフレットシリーズより)

<大湯環状列石> 秋田県鹿角市十和田大湯字万座45番地

場所
秋田県北東部で鹿角市の米代川上流に位置し、その支流である大湯川左岸、標高180m程の台地上にあります。
時代
縄文時代後期で紀元前2,000年~紀元前1,500年頃の環状列石を中心とした遺跡です。
規模・形状
直径約52mの万座環状列石、直径約42mの野中堂環状列石が代表的な物で、ほかに環状や方形などの配石があります。
遺物等
遺構の他に日常使用する土器や石器、土偶や土版、鐸(たく)形土製品、石棒、石刀等が出土しています。
左:野中堂環状列石、右:万座環状列石(角館市ホームページ・大湯ストーンサークルより抜粋)

<伊勢堂岱遺跡(いせどうたいいせき)> 秋田県北秋田市脇神字伊勢堂岱

場所
北秋田市の北部で米代川西岸の河岸段丘、標高42~45m舌状台地上にあります。
時代
縄文時代後期で紀元前2,000年~紀元前1,700年頃の環状列石を中心とした遺跡です。
規模・形状
直径約32mの環状列石、直径約45mの環状列石、弧状の環状列石が発見されています。
遺物等
掘立柱の建物跡、墓、貯蔵用などが見つかっており、石鏃(せきぞく)などの狩猟具、石錘(せきすい)などの漁労具、石皿・磨石などの研磨器類などの生活用具や、土偶・動物形土製品・鐸(たく)形土製品・岩版類・三脚石器・石剣類など儀式用の道具も多量に出土しています。
左:環状列石全景、右:環状列石(北秋田市教育員会縄文遺跡世界遺産登録推進本部 北海道・北都北の常温遺跡群リーフレットシリーズより)

<鷲ノ木遺跡(わしのきいせき)> 北海道茅部郡森町字森川町292番地24

場所
噴火湾より約1km内陸の標高70mの河岸段丘上にあります。
時代
縄文時代後期で紀元前2,000年頃の環状列石です。
規模・形状
北海道内最大規模である環状列石は、外周がおよそ37m×34mのほぼ円形で、外側を二重にめぐる環状の配石と、中心にある楕円形の配石で構成されています。平均30~40cmの偏平・棒状の石が多く用いられ、その数は602個にのぼります。石の供給地は、最も近い地点で約1km離れた桂川河口付近とみられています。
遺物等
環状列石から南5mの場所に竪穴式の墓の区画があります。
環状列石全景(森町教育員会縄文遺跡群世界遺産登録推進本部 北海道・北都北の常温遺跡群リーフレットシリーズより)

縄文時代の集落は、環状集落と呼ばれ、環状列石を囲むように人々が住んでいたそうです。環状列石の下には死者が埋葬され、集落の生活と身近な位置関係にあったそうです。集落での生活では妊娠や出産があり、死と子孫の誕生が連続することで、再生の考え方が強かったとの解釈がされているそうです。

環状列石には大きな石を使っていました。そのため後世まで残り発見され、我々が縄文人の生活の一端を知ることができたと言えます。また石を円形に規則的で並べていたからこそ、その理由を我々が想像することができたと言えます。

縄文人がどのようにして石を運び作りあげたのか、またそこでどのような儀式を行っていたのかを想像するだけでも楽しいですね。是非、北海道・北東北の縄文遺跡群を訪ねてみて下さい。

前編はここまでです。たくさんのストーンサークルを紹介しましたが、これはほんの一部かもしれません。実際には地中に埋もれたまま、後世の土地利用で壊されたりしたものがたくさんあるのでしょう。中編では「古墳の石室」を紹介します。

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