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やわらかサイエンス

地質時代区分・第四紀の再定義 ―人類の出現と世界的な寒冷化のはじまり(後編)―

担当:冨永 英治
2011.07

前編では、第四紀の再定義の経緯について紹介してきました。後編では、その再定義をめぐる議論の中でわかった「現代の寒冷化現象」について、紹介していきます。

微化石が示す寒冷化の証拠

これまでの過去の気候を示すデータから、第四紀以前から現在に至るまで寒冷化傾向が認められています。今現在、地球温暖化問題がさまざまな方面で取り沙汰されていますので、「寒冷化」と聞くと「えっ!」と思う人もいるかと思いますが、近年のスケールではなく、過去500万年オーダーで見ると確実に、寒冷化傾向にあります。
その証拠は、有孔虫という微化石のデータから示されております。有孔虫については、やわらかサイエンス「深海に住む生き物たち」(2005年3月)にも掲載しておりますのでご覧下さい。

もともと、天然には酸素の安定同位体の18Oと16Oが存在しています。この酸素の同位体は、気候によって大きくその割合が変化します。たとえば、海面から水蒸気として蒸発する際は、質量の軽い16Oを持つ水蒸気は、質量の重い18Oよりも多く蒸発します。蒸発した水分は、最終的には極域(高緯度)まで運ばれ、雨や雪となりますが、運ばれる途中では質量の重い18Oを持つ水蒸気は、質量の軽い16Oよりも多く雨や雪として地上に戻ります。

酸素の安定同位体イメージ

このように、極域(高緯度)では16Oの水蒸気が多く存在し、そこで、雨が降ると16Oの多い水蒸気が地上に戻り、やがて海まで運ばれて循環しています。しかし、気候変動が起き、仮に極域(高緯度)の氷河が拡大すると、16Oを多く含む水蒸気が地上に氷河として固定しますので、全体的に16Oを含む水蒸気が少なくなり、相対的に18Oの濃度が上昇することになります。このような現象を利用すると例えば、過去から現在までの酸素同位体の情報を調べることによって過去から現在までの気候もわかることになります。

温暖期と寒冷期の酸素同位体の分布の違いイメージ
温暖期と寒冷期の酸素同位体の分布の違いイメージ

そのため酸素同位体の16Oと18Oを比で表し、ある標準試料からどの程度偏差が生じているのかということを数値δ18O(‰)で示します。つまり、寒冷化に伴い氷河が発達すると海水中にすると18Oが多くの残されるため、相対的にδ18O(‰)の値が大きくなり、逆に、温暖化により氷河が縮小すると16Oの多い淡水が海洋に戻るため、相対的にδ18O(‰)が小さくなります。
この数値δ18O(‰)と有孔虫とどういう関係にあるかというと、有孔虫は主として炭酸カルシウムの殻を作ります。その殻を作る際に、海水中の成分を取り込むために当時生きていたδ18O(‰)の記録も殻に刻んでいます。そのため、有孔虫の殻は過去の気候変動を解く手がかりを与えてくれるのです。

では、図を見てみましょう。この図は、さきほど説明した有孔虫の殻を用いてδ18O(‰)の過去500万年間の変動を示しています。500万年前(鮮新世)から現在にかけては上下に振幅しながら徐々にδ18O(‰)が大きくなる傾向が読み取れます。
つまり、δ18O(‰)が大きければ大きいほど、氷河が拡大したこと、つまり寒冷化したことを示しますので、過去500万年以前から小さなスケールの寒冷化(氷期)と温暖化(間氷期)を繰り返しながら、大きなスケールでの寒冷化が起きていたことがわかります。

図:鮮新世(5.3Ma)以降の気候変動変化 1)
鮮新世(5.3Ma)以降の気候変動変化 1)
(1Ma(Mega age)=100万年)(Pleistpcene:更新,Pliocene:鮮新世)

いつ頃からこの大きなスケールの寒冷化の兆候が起きていたかについては、始新世の終わり頃から始まり、その原因については、大陸の位置関係の変化や、大洋の潮流の変化、地球の軌道の変化、アゾラ(アカウキクサ:水性のシダ植物)のによる二酸化炭素含有量の減少などさまざまな原因が複雑に関係しているようです。

図の話しに戻りますと、さらに、鮮新世と更新世を比較すると、鮮新世の方が振幅が小さく、直線勾配も小さいこと(鮮新世:-0.20、更新世:-0.27)がわかります。つまり、更新世よりも鮮新世の方が、氷期と間氷期の気温差が小さく、気温も現在よりも温暖であったことがわかります。この鮮新世では、現在よりも平均3.5℃高かったという論文もあります。また、新しく定義された258.8万年前付近では、直線勾配が変化していることから、それまでよりも急激な寒冷化を招いていることが分かります。その後、更新世に入り、第四紀を特徴づける氷期-間氷期の繰り返しが、明瞭かつ、恒常的になっていくことがわかります。その一方、従来の第四紀のはじまりを定義していたおよそ180万年前付近では、たしかに、大きな変化は認められません。

次に、新しく定義された258.8万年前を含む200万年前から320万年前の時期のδ18O(‰)の変化を拡大した図を示します。この図の折れ線グラフは、200万年前から320万年前の120万年間、合計30回の氷期と間氷期それぞれのδ18O(‰)のピーク値をつなげて示しており、●は氷期のδ18O(‰)の値と直線勾配(-0.29)、○は間氷期のδ18O(‰)の値と直線勾配(-0.70)を示しています。直線勾配を見るとこの期間の間氷期では鮮新世から現在の値(-0.28)とほぼ変化はありませんが、氷期のそれは著しく大きな勾配を示しています。このことは、先ほど述べた258.8万年前付近の急激な寒冷化については、間氷期の時期は、実は、それほど大きな気候変化があったわけではなく、氷期で顕著に起きていたことになります。

図:第四紀の始まり(約2.6Ma)前後60万年間の気候変化の傾向 1)
第四紀の始まり(約2.6Ma)前後60万年間の気候変化の傾向 1)

寒冷化とパナマ地峡の成立

この急激な寒冷化の証拠は他にもデータがあります。たとえば、下図は北半球高緯度海域で掘削された深海の海底堆積物から得られた石灰質ナンノ化石の群集変化と氷河から運ばれた砕屑物であるドロップストーンの含有量を示しています。

図:北極海ODP Leg 151,Hole 911Aの石灰質ナンノ化石層序とドロップストーンの変化 2)
北極海ODP Leg 151,Hole 911Aの石灰質ナンノ化石層序とドロップストーンの変化 2)

石灰質ナンノ化石の群集変化については、275万年前を境に群集変化が変わり、その種構成は亜極海域を生息域とする寒流系種Coccolithus pelagicus (石灰化海洋性植物プランクトン)のみの群集へ変化し、それとともに、ドロップストーンは275万年前から急増しています。このため、北極海域が275万年前を境に急激に氷床が拡大したことを示唆しました。また、石灰質ナンノ化石群集や有孔虫の群集解析から、この時期(275万年前)に今の南北アメリカをつないでいるパナマ地峡が成立したことが明らかにされつつあります。

パナマ地峡イメージ図

つまり、275万年前にパナマ地峡が成立して、急激な寒冷化と北太平洋海洋の寒流系種のCoccolithus pelagicusの地理的分布に大きな変化を与えたとしています。パナマ地峡が成立するとなぜ、寒冷化が起きるのでしょうか?
それは、パナマ地峡の成立により、それまで、そこを通っていた暖流が北上する。これにより、熱と水分を極へ供給する。これにより北半球は一旦は温暖化する。その後、ベーリング海峡を通じて北太平洋から北極海へ低塩分海水が流入し、東グリーランド海流となり、北極海での氷床形成とアルベト(地表面が太陽の光を反射する割合のこと)の分布拡大を招いたというのが有力な説となっています。

その時、われわれ人類は(Out of  Africa!)

上記したような地球規模の気候変化の中で、我々人類の祖先はどこにいたのでしょうか?人類の進化では、これまでは猿人→原人→旧人→新人という一直線な進化(単系統段階論)で考えられていました。

人類の進化イメージ図

しかし、最近の研究から、より多系統で複雑な進化であることが有力となってきています。人類の系統の最も古いものは、2001年アフリカ中部チャド砂漠で見つかったサヘラントロプスで、およそ700万年前にもさかのぼります(下図参照)。

人類の系統表

その後、猿人の化石が見つかり、我々、人類のホモ属(ヒト属)は、その猿人の一つ(アウストラロピテクス属)から進化したと考えられています。そのホモ属(ヒト属)の最古の記録は、上記にも説明しましたがタンザニアのオルドゥバイ峡谷で1964年に発見されたホモ・ハビリスで(ハビリスという名前は、骨のそばに石器があったから「器用な人」という意味)180万年前のものとしました。

今までの見解をまとめると、どうやら、我々の祖先は、新定義とした258.8万年前は、アフリカに存在し、その後、180万年以降になると、様々なルートで世界各地に広がっていったということになります。

しかし、その後、次々と類似したタイプの骨が発見され(例えば、ホモ・ルドルフェンシス)、それらを含めると240万年前までにさかのぼるという説もあります。ということは、第四紀の新定義の258.8万年前という時期と非常に近い時期になります。しかし、この年代については、さまざまな意見があり、今後、新たな出土などから、このホモ属(ヒト属)の年代の定義は再検討されることでしょう。その後、180万年前以降になると、アフリカ以外の場所からの出土が発見されるようになります。例えば、グルジア共和国のドゥマニシ、インドネシア・ジャワ島、中国でも出土されています。

第四紀を見直すと・・・

第四紀という時代は、新定義されたはじまりから、現在に至るまで、実にさまざまな地球上のさまざまな変化があった時代と言えそうです。パナマ地峡の成立から始まり、海流の変化そして、熱と塩分の輸送システムの変化、さらには寒冷化、明瞭な氷期・間氷期の恒常化、そして、人類が世界各地への展開といったことがわかりつつあります。今後も、さまざまな科学的なデータが出てきてこれ以外の仮説が出てくることでしょう。昨年6月に批准された「第四紀」のはじまりの再定義の意味については、一瞬のうちに大きく激変した事件が起きた!ということではなく、過去から今日に至るまでの流れの中で、現在の全地球的なシステムが構築された時期に合わせて「258.8万年前」と設定されているように思います。
また、第四紀という時代は、他の時代区分とは違い、将来につながる時代でもあります。今日、人類活動が及ぼす地球への影響が懸念され、地球温暖化に関する「気候変動枠組条約第16回締約国会議(COP16)/2010年12月」や「生物多様性条約締約国会議(COP10)/2010年10月/名古屋」などが開催されています。第四紀という時代は、まだ、人類が繁栄する前から、気候などのさまざまな変化が過去にも起きており、今日に至っています。そのため、過去の事例、科学的データを紐解いていけば、現代の諸問題に対する考え方やヒントが隠されているかも知れません。


参考資料
1) 酸素同位体比変動から見た第四紀の始まりの寒冷化、第四紀研究、Vol.49、No.5、2010、pp.275-pp.281
2) パナマ地峡の設立と世界的な寒冷化-第四紀の新しい定義と関連して-、第四紀研究、Vol.49、No.5、2010、pp.283-pp.292
3) 人類最初の出アフリカ(Out of Africa)と東方アジアへの拡散問題、第四紀研究、Vol.49、No.5、2010、pp.293-pp.298
※参考資料の最終参照日:2011年7月

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