技術資料

地質モデリング

06.こぼれ話2~このエリアで最も古い地層はどこにあるのでしょうか?

担当:冨永英治
2022.02

さて、今回のコラムタイトルにあるように「今回モデル化しているエリアで最も古い地層はどこにあるのでしょうか?」

その答えは…
エリア北部の神奈川県厚木市棚沢 鳶尾山を構成している「四万十帯相模湖層群※(酒井(1987)の再定義前は小仏層群)」です。藤ノ木-愛川構造線の北側(西側)に分布し、主に古第三紀の頁岩および砂岩が出現します。
四万十帯は、九州から四国、本州に帯状に分布する地層です。この帯状構造は、中部から関東においてはフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に潜り込んでいる影響で、伊豆半島、丹沢などの伊豆-小笠原弧の島々が本州と衝突し、への字のような形状となっています。ですので、このエリアに見られる四万十帯相模湖層群※は、丹沢が衝突する前、本州側にあった地層なのです。
※四万十帯相模湖層群を前回のコラムでは小仏層群(相模湖層群)と記しています。

日本列島構造概要図
(Vol.119,No.6,2010,Journal of Geography, 日本列島の地体構造区分再訪-太平洋型(都城型)造山帯構成単元および境界の分類・定義-,磯崎ほか(2010)から編集)
丹沢と伊豆半島の形成
(丹沢大山自然再生委員会ホームページの図を編集)

一方、本州に衝突した丹沢側は、言うまでもなくエリアの西側の山地を形成している「丹沢層群」ということになります。丹沢層群は、大山亜層群、煤ケ谷亜層群に細分されています。いずれも、新第三紀の火山活動で生成された岩石で火山岩・火山砕屑岩から構成されています。ケーブルカーでも登ることのできる大山(1,246m)は、この丹沢層群の地層なのです。
よく地質図を見ると、さきほどの衝突された側の四万十帯相模湖層群と衝突した側の丹沢層群の間に、「愛川層群」という地層があります。これは、いったいどういう地層の成り立ちなのでしょうか。
それは、丹沢衝突する前、丹沢と本州の間にあった狭い海域を埋めていったトラフ充填堆積物と言われています。主に、火山角礫岩、火砕砂岩、凝灰岩、砂岩、泥岩と様々な岩種が出現します。

この上記でお話しした3つの地層(相模湖層群、丹沢層群、愛川層群)は、かつて海洋性島弧が、本州側に衝突した際に生まれたものなのです。その境界には、藤野木‐愛川構造線、牧馬‐煤ケ谷構造線が存在し、本州側と丹沢側(島弧側)のかつての爪痕が見ることができます。

この構造線の一部は、伊勢原断層として現在も活動しているとされています。
1923年(大正12年)の関東地震においては、溝状の凹地や亀裂が出現したことが記録されています。また、秦野市の南にある大磯丘陵では、市木沢で地すべりが発生し、沢を堰き止め、今も親しまれている「震生湖」が形成されました。紅葉シーズンなどは美しい景色となります。この地すべりは、東京軽石層がすべり面となり、その上の火砕流堆積物やローム層がすべったとされています。

震生湖の写真
2021(令3)年3月26日、国登録記念物(動物、植物及び地質鉱物関係)に登録。観光地としての利用だけでなく、地震による地形変化の規模の大きさを後世に伝える場としても利活用されています。 また、湖畔には寺田寅彦(東京帝国大学 地震研究所)が調査に訪れた際に詠んだ俳句の句碑が建立されています。

参考文献:
1)酒井 彰(Sakai, A.),1987,五日市地域の地質.地域地質研究報告(5万分の1地質図幅)(Geology of the Itsukaichi District,
 Quadrangle Series Scale 1: 50,000),地質調査所(Geol.Surv.Japan),75p.
2)磯﨑行雄・丸山茂徳・青木一勝・中間隆晃・宮下 敦・大藤 茂,2010,日本列島の地体構造区分再訪― 太平洋型(都城型)
 造山帯構成単元および境界の分類・定義―,地学雑誌,119(6),pp.999-1053.

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